栄養学は事実を認めるのが遅い。糖尿病の増加は明治時代の脚気の増加と原因が同じ。

現代の日本では、2千万人の人が糖尿病かその予備軍と言われてます。

糖尿病は生活習慣病とされていますから、普段の食事や運動が原因で発症するということでしょう。それなら、栄養学が発達している現代日本で、こんなにたくさんの糖尿病とその予備軍の人が多いことに疑問を感じます。

白米中心の食事が脚気の原因

現代の糖尿病と同じように社会に流行した病気が明治時代にありました。

それは脚気(かっけ)です。

現代では、栄養学の発達もあり、脚気はビタミンB₁の摂取不足が原因だとわかっています。でも、明治時代は、ビタミンB₁が発見されておらず、脚気の原因が何なのか不明でした。

ドイツで医学を学んだ森林太郎(森鴎外)は、脚気は劣悪な環境と食事によって発症する伝染病だと主張します。これが脚気による犠牲者を増やす原因でした。

一方、イギリスで医学を学んだ海軍医官の高木兼寛は、欧米の軍艦で脚気にかかる水兵がいないのに日本の軍艦では多くの水兵が脚気にかかり死者も出る状況を知って、食事内容に原因があるのではないかと考えます。

そこで、高木兼寛は、日本海軍の食事を洋風にしたところ、長期の航海にも関わらず脚気にかかる水兵が激減し死者も出ませんでした。これについては、帝京大学医学部名誉教授の杉晴夫先生の著書「栄養学を拓いた巨人たち」で紹介されています。

そこで高木はパンの代わりに、白米に大麦を混ぜることにした。これは水兵たちにも受け入れられた。さらに、糖質に偏りタンパク質が少なかった従来の献立をタンパク質を多く含むものに変えてみた。この新しい食事の効果をテストするため、軍艦「筑波」が遠洋航海に出発した。
はたして287日の航海中、333人の乗組員のうち脚気患者はわずか14人、しかも死者は一人もいなかった。この劇的な結果を見て、海軍は直ちに高木案に従って麦飯を柱とする海軍標準食を制定した。こうして海軍を悩ませた脚気は一掃されたのである。(97ページ)

しかし、陸軍では海軍食が採用されず、森林太郎の白米食に問題なしという報告を信じて日露戦争に突入します。

すると、陸軍の戦死者4万7千人に対して、脚気患者は21万人以上、脚気での死亡者が2万7千人を超えるという事態が発生しました。

事実は権威に逆らえない

この例を見るとわかりますが、どんなに病気の予防に効果的だとする事実を積み上げて行っても、権威者がその事実を認めなければ、医療の現場で採用されなかったのです。

欧米では、ビタミンBが発見されて脚気の治療に効果的だと広く認められていきましたが、日本では、森林太郎が1922年に亡くなるまで脚気は細菌が原因だとする説に逆らえず、多くの犠牲者を出します。でも、森林太郎の死後は、ビタミンBが有効であることを栄養学や医学の世界で認めるようになり、それまで細菌説を支持していた学者たちも沈黙したそうです。

糖質制限で血糖コントロールできるのは事実なのに認められない

現代の糖尿病治療も、明治時代の脚気の治療と全く同じです。

実際に米、パン、麺類、砂糖といった炭水化物(糖質)を多く含む食品を食べなかったら血糖値が上がらないのですが、その事実はなかなか認められません。いや、事実なのですから認めるしかないのですが、糖質制限が社会になかなか認知されません。

やっぱり、これも事実は権威に逆らえないことが理由なのでしょうか?

どんなに優れた治療法を発見しても、誰が発見するかで、患者が効果的な治療を受けれるかどうかに大きく影響しているように思いますね。有名国立大学の偉い先生が発見した治療法なら、すぐに医療の現場で採用されるのでしょうが、小さな病院の臨床医が発見した治療法は、なかなか世間に浸透しないのでしょう。

「栄養学を拓いた巨人たち」では、食事内容を変えて病気が治ったという事例がいくつも紹介されているのですが、必ずと言っていいほど、それを認めない旧勢力に新発見がつぶされそうになります。ミルクの代替食を与えて多くの乳幼児を死亡させた事例から、糖質、脂質、タンパク質の三大栄養素だけでは人は生きていけないことを論文で発表して、栄養学のドグマに跳ね返されたという事例も紹介されていました。

今なら、ビタミンとミネラルも必須の栄養素だとわかっているので、三大栄養素だけでは生きていけないことは明らかです。

でも、杉先生によると、このようなことは現代でも常に起こっているそうです。

なお、「栄養学を拓いた巨人たち」については、以下の記事でも紹介しています。

参考文献