筋肉の非常用エネルギーはクレアチンリン酸プールに蓄えられる

横断歩道を渡っている時、こちらに気づかず自動車が右折してきたとします。

自動車が自分の前を通り過ぎそうなら、その場で立ち止まってやり過ごせます。でも、自分の体が自動車とぶつかると判断した場合は、瞬時に前に走って衝突を避けますよね。

この時、足や腰の筋肉に瞬間的にエネルギーが供給されていなければ走ることはできません。実際に自動車をよけられているのですから、筋肉には目にも止まらぬ速さでエネルギーが供給されているはずです。

しかし、自動車の動きを見てからエネルギーを作っていたのでは、衝突前に体を動かすことは不可能です。だから、我々の筋肉には、瞬間的に体を動かせるようにするためにエネルギーが蓄えられています。この仕組みをクレアチンリン酸プールといいます。

ミトコンドリアで作られたエネルギーが活動の基本

人間も含めて動物が活動に利用するエネルギーは、アデノシン三リン酸(ATP)です。

ATPは、アデノシンに3個のリン酸(P)がくっついており、リン酸が1個離れるとエネルギーが放出されます。この放出されたエネルギーを使って、我々は、歩いたり、走ったり、ボールを投げたりします。もちろん、体の中で無意識に行われている活動も、ATPからリン酸が離れた時に放出されるエネルギーが使われています。

ちなみにアデノシンに1個のリン酸がくっついているのをアデノシン一リン酸(AMP)、2個のリン酸がくっついているのをアデノシン二リン酸(ADP)といいます。したがって、ATPからリン酸が1個離れてエネルギーが放出されると、ATPはADPになります。

ATPは、細胞内にあるミトコンドリアで大量に作り出されます。ATPを作るための材料は、主に脂肪酸ブドウ糖です。

ミトコンドリアでは、脂肪酸やブドウ糖から作られたクエン酸を酸化して、電子を取り出します。この反応をクエン酸回路(TCA回路)といい、取り出された電子は、ミトコンドリアの電子伝達系に運ばれてATPが合成されます。

ミトコンドリアでは、大量のATPが作られるので、ミトコンドリアは人間にとって最も重要なエネルギー工場と言えます。ただし、ミトコンドリアでエネルギーが作り出されるためには、酸素が必要になるので、十分に酸素が供給されていない状況ではミトコンドリアはATPを作り出せません。

無酸素下ではクレアチンリン酸を使ってATPを作り出す

横断歩道を渡っている時、自動車が右折してきてぶつかりそうになった場合、瞬間的に前に走らなければ惹かれてしまいます。

しかし、咄嗟に体を動かそうとしても、ミトコンドリアに十分に酸素が行きわたっていないので、筋肉を瞬間的に動かすためのATPを確保できません。だからと言って、深呼吸してから走り出していたのでは、自動車に惹かれてしまいます。

そこで、我々の筋肉は無酸素下でもATPを瞬時に作り出せるクレアチンリン酸を使います。

クレアチンリン酸は、筋肉に大量に含まれているクレアチン(Cr)にリン酸(P)がくっついた物質です。ミトコンドリアでは、何段階もの反応を経てATPが作られますが、クレアチンリン酸は、リン酸が切り離された時に放出されるエネルギーを使って、リン酸をADPにくっつけてATPを作り出します。この反応は非常に速く、酸素がなくても、瞬時に筋肉を動かせるだけのATPを確保できます。

だから、我々は、自動車をよけるような咄嗟に反応しなければならない時でも、筋肉を思い通りに動かして危険を回避できるのです。

クレアチンリン酸プール

クレアチンとADPは、相互にリン酸を渡すことができます。式で表すと以下のようになります。

ADP~P+Cr ⇆ ADP+Cr~P

「ADP~P」はADPにリン酸が1個くっついたもの、つまりATPのことです。「Cr~P」は、クレアチンにリン酸がくっついたクレアチンリン酸のことです。

筋肉を瞬間的に動かす場合、ある程度のATPをすぐに作り出そうとすると、一定以上のクレアチンリン酸を筋肉に蓄えておかなければなりません。このクレアチンリン酸を筋肉に蓄える仕組みがクレアチンリン酸プールです。

杉晴夫先生の著書「筋肉はふしぎ」の30ページにクレアチンリン酸プールの図が載っていたので、それを簡略化したイメージを以下に示します。

クレアチンリン酸プール

  1. ミトコンドリアで作られたATP(ADP~P)は、いったんクレアチン(Cr)にリン酸(~P)を渡し、ADPとなります。
  2. リン酸(~P)を受け取ったクレアチン(Cr)は、クレアチンリン酸(Cr~P)となり、クレアチンリン酸プールに蓄えられます。
  3. 筋肉が瞬時に最大限の活動をする時にクレアチンリン酸(Cr~P)から「~P」が離れ、ADPとくっつきATP(ADP~P)になります。
  4. ATP(ADP~P)からリン酸(~P)が離れた時に放出されたエネルギーを使って、筋肉が最大限の活動をします。

草食動物が、不意に肉食動物に襲われた時にすぐに走り出せるのは、クレアチンリン酸プールの仕組みが筋肉に備わっているからです。

しかし、クレアチンリン酸プールに蓄えられているクレアチンリン酸は少ないので、長時間、最大限の力を発揮することはできません。全力疾走中にトップスピードを維持できている間は、クレアチンリン酸から作られたATPを使って走ることができています。スピードが落ちてきた時には、トップスピードを維持できるだけのクレアチンリン酸が筋肉に残っていないので、酸素を吸ってミトコンドリアでATPを作らなければなりません。しかし、酸素を吸っていたのでは、トップスピードで走り続けるだけのATPを速やかに供給できません。

一般人だと、全力疾走しても、トップスピードを維持できるのは10秒程度でしょう。

無酸素下で使えるエネルギー源には、筋グリコーゲンもあります。

しかし、筋グリコーゲンからATPを作り出すためには解糖系で10段階の反応を要するので、緊急用のエネルギーにはなり得ません。

ATPは、生体内のエネルギー通貨と言われますが、クレアチンリン酸は素早く使えるので、財布の中に入れた現金のようなものですね。

一方、中性脂肪やグリコーゲンは、素早く使えませんが、クレアチンリン酸よりも多くのATPを作り出せるので、銀行預金に例えることができます。何年も体に溜めている中性脂肪は、定期預金といったところでしょうか。

参考文献