夏は暑い。当たり前のことですが。
日焼けすると、さらに暑さが増しますね。
海水浴などで、体を焼くと、その夜は日焼けした部分の熱が全然下がらない感じで、寝苦しくなりませんか。体が火照っているというのか、日焼けした皮膚がヒリヒリし、睡眠どころではなくなります。
だから、できるだけ日焼けしない方が、夏は快適に過ごせます。でも、日中に外を歩いているだけで、首の裏が日焼けしますから、ある程度の日焼けはやむを得ないですね。
夏は暑い。当たり前のことですが。
日焼けすると、さらに暑さが増しますね。
海水浴などで、体を焼くと、その夜は日焼けした部分の熱が全然下がらない感じで、寝苦しくなりませんか。体が火照っているというのか、日焼けした皮膚がヒリヒリし、睡眠どころではなくなります。
だから、できるだけ日焼けしない方が、夏は快適に過ごせます。でも、日中に外を歩いているだけで、首の裏が日焼けしますから、ある程度の日焼けはやむを得ないですね。
人間の体を構成する成分で最も大切なのはタンパク質でしょう。
筋肉だけでなく、皮膚もタンパク質でできていますし、爪や髪もタンパク質でできています。内臓もタンパク質の塊ですよね。
身体を構成するタンパク質は、常に壊されています。これを異化といいます。異化が際限なく続けば、いずれは身体が崩壊してしまいます。壊したタンパク質は、元に戻さなければなりません。これを同化といいます。
我々の身体が、昨日と今日で見た目にほとんど変化を感じないのは、異化と同化のバランスが取れているからなんですね。
先日、ザ!世界仰天ニュースを見ていると、白米ばかりを食べている女性のことが紹介されていました。
白米が健康に良いと知って、白米ばかりを食べるようになったそうです。そして、この食べ物は体に悪い、あの食べ物は危険だと思い込むようになり、食べる食品の種類が減っていきました。
そのような食生活を長い期間続け、やがて体調に異変が出始め、歩いているだけで苦しくなるように。
飽食の時代と言われるようになって、随分と長い年月が経っています。
20世紀からすでに言われていましたから、現代日本人の大多数が飽食の時代に生まれ、飽食の時代に育ってきた世代と言えます。
飽食という言葉から、現代日本人は十分に栄養素を補給できているように思えます。でも、周りを見ていると、栄養不足のような人が大勢いるように感じます。街中に食品は溢れていますが、人体にとって本当に必要な栄養素を補給できていないのでしょうね。
きっと、肉は健康に悪いと思い込み、肉を控える食事をしている人が、栄養不足に陥っているのだと思います。
インフルエンザを予防するためワクチンを接種している方がいると思います。
ワクチンは、1回か2回接種すれば、長期間にわたり特定の感染症にかからなくなります。でも、インフルエンザワクチンは、毎年、接種しなければなりません。
その理由は、インフルエンザウィルスの進化速度が非常に速く、従来のワクチンでは進化したインフルエンザウィルスに効果を発揮できないからです。
風邪やインフルエンザなどのウィルス感染症にビタミンCの摂取が有効だとの報告は数多くあります。
ただし、摂取量が少ないと効果が低いので、風邪やインフルエンザにかかった場合には1日に20グラム以上の大量摂取が望ましいです。
また、細胞がビタミンCを効率的に取り込めるようにするためには、ブドウ糖(糖質)の摂取量を減らさなければなりません。ビタミンCは、ブドウ糖と競合するので、糖質過多の食生活を送っていると、細胞がしっかりとビタミンCを取り込めなくなるからです。
ビタミンCは、たくさん摂取しても、すぐに尿として排泄されてしまうので、大量摂取に意味はないと言われています。
だから、体内に吸収できる量のビタミンCを摂取すれば十分というのが、現在の栄養学や医学の主流の考え方です。
では、排泄されずに体内に吸収できるビタミンCの量は、どれくらいなのでしょうか?
60mgまでの摂取量であれば100%体内に吸収できます。だから、この程度の摂取量で十分との考え方があり、1日に400mg以上のビタミンC摂取は無意味との意見もあります。
しかし、これは、1日に1回だけビタミンCを摂取した場合であり、複数回摂取した場合には当てはまりません。つまり、複数回の摂取であれば、ビタミンCの大量摂取には意味があるのです。
ビタミンCは、たくさん摂取しても、取りすぎた分はすぐに体外に排出されるので、大量摂取に意味はないと言われることがあります。
だから、ビタミンCは少量を数回に分けてこまめに摂取する方が効果的だとされています。
確かにビタミンCは、1回の摂取量が少ない方が吸収率が高いですし、摂取したビタミンCはすぐに外に出て行ってしまうので、同量のビタミンCを摂取するのなら分けて摂取した方が効果的です。
でも、この理屈は、ビタミンCを大量に摂取しても無意味だということではありません。